ours(恋をしても5)
ボタボタとシャワーの雫を滴らせたまま、正斗はのろのろと秋也の待つ部屋へと戻った。 ベッドに腰掛けて膝の上に腕を組んで正面を睨みつける秋也の態度が冷たくてゾッとする。 その肩や腕や空気が、俺を拒否してる。・・俺を寄せ付けない。 こんなにも距離のある秋也を知らない。 下手な事を言ったら秋也を失うような気がした。 もう、秋也を見ていることにも耐えられなくなって正斗はギュッと目を閉じて更に俯いた。 ポタ・・ポタ・・。 普段なら絶対に聞こえない正斗から落ちる雫の音が、まるで泣いてるみたいに部屋に響いた。それが、一層孤独を痛感させる。 シャワーで冷えた体がどんどん冷たくなる。 まるで2人の関係が冷えてしまうような錯覚。 ただただ、立ち尽くすしか出来ない。 秋也という審判の判決が下されるのを待つ罪人のような気持ち。 こんなに長く秋也が自分を放って置くなんて今までになかった。いつもなら自分がこんな風に俯いているとすぐに秋也は包んでくれるから。 『愛してる、正斗。』『好きだよ。』『正斗が誰より大事。』 いつもいつも溢れるほどの言葉で温めてくれた。 誰からも言われたことの無い言葉を秋也は全部俺にくれた。 『泣いていいって』『我慢するなよ』『・・・無理、するな』 どんな俺も全部愛してくれた。 秋也の持っているものを全部俺にくれた。 秋也は必ず自分の分まで俺にくれる。 例えそれで自分の分が全部無くなっても、俺に与えてくれる。迷わず与える。 それが秋也に愛されるということ。 秋也の愛し方。 その分秋也は俺以外の人間には欠片だって与えない。他には毅然と一切与えない。俺のために。 『これは全部正斗のだから』と驚くほど他人には冷たくなる。俺にだけ暖かい。 恐ろしいほど潔くて、秋也という人の心そのままで。 秋也は全部俺に渡してしまうから、俺が裏切ったら秋也は全部失ってしまう。俺が貴俊の所へ行ったことで秋也がどんな想いをしたかを考えると自分を殴りたくなる。 知らず知らず・・・言葉で、態度で、日常で、与えられることばかりを求めた。 自分から秋也に与えたことなんてあっただろうか。 だから、秋也の気持ちも考えずに貴俊の部屋になんか行けたんだ。 俺は・・・秋也以外の人間を頼るっていう最悪の裏切りをした。 どんなに秋也がショックを受けて傷ついたか。 与えてこなかったから、与え方を知らない。 愛されたくて愛情ばかりを求めてたから、どうやって愛したらいいか分からない。 秋也はいつも惜しみなく俺が求める以上の愛をくれるから、自分から愛することをしてこなかった。 俺はバカだ・・・愛され過ぎて、愛し方が分らないなんて。 ・・・いかに自分が大切にされていたかを実感する。 最低だ。 全部を与えてもらっていたのに。 全てを与えた俺が自分を裏切ったら・・・? 秋也は失望で・・俺を削除するかもしれない。
ボロボロボロッ・・・と、目から涙が弾き出た。 泣いて逃げようなんて思ってない。 泣いて許してもらおうなんて考えてもない。 だけど、どうしようもなく溢れる大量の涙が堰を切ったようにあふれ出る。 嫌だ。 嫌だ・・。 嫌だ・・・! 嫌だ、秋也。 頼むから、変な事考えないでくれ。 お願いだから冷めないでくれ。俺に冷めてしまわないで。 離れて行かないで。 何かを決意したような頑なな態度は止めてくれ。『正斗』って俺を呼んで。 お願いだから。頼むから・・っ! 窒息しそうなほど心が叫んだ。 「バカだな、・・泣くなよ。」
ふわりと広い胸が俯く頭を覆う。 強い腕が震える肩を包む。 熱い体温が冷えた身体を抱きしめる。 「!!」 正斗はビクっと全身を震わせた。 「悪い・・怒鳴って悪かった。さっきはちょっとコントロールきかなかった。」 秋也の腕がその震えを治めるように柔らかい強さで正斗を羽交い絞めにする。 「・ぅ・っ・・・。」 秋也!! 秋也の感触。 どんな言葉より直接脳に響く。 自分の嗚咽が逞しい胸に吸い込まれて篭った響きになるのが、堪らなく嬉しかった。 フワリと自分を包む秋也の匂いを吸い込む。 また背が伸びて今ではすっかり胸の中に男の自分を閉じ込めてしまえる秋也の存在全部を感じることが震えるほど嬉しい。 熱い体温、頬に響く鼓動、抱きしめられた腕の中で小さくなる自分の髪を撫でる仕草。 秋也、秋也、秋也! ああ・・! 秋也。 細胞が生き返るような熱。親にはぐれた子供みたいに必死で秋也にしがみ付いた。 溢れる涙がグッショリと熱く秋也の胸を濡らしてく。 「泣くなって。」 今までの沈黙がどれだけ恐ろしいものだったか。 どんなに恐怖だったか。 「・・何かまた妙な事考えたんだろ、バカ。」 正斗はしがみついたまま秋也の胸から顔を上げず、堰を切られたように声を出して泣き出した。
やんわりとベッドに横たえらる。 瞬間、秋也との間に僅かな隙間が出来て慌ててしがみ付く。 「正斗。」 1ミリだって秋也と離れることが不安だった。 胸の中であやされていないと不安だった。 ギュっと秋也を引き寄せるようにしていっそう強くしがみ付く。秋也を見た自分の目が『離れない』と言葉を叫んだ気がした。 甘ったれている、と思う。 でもまだ身体の震えが止まらない。 秋也がやっぱり震えを押さえつけるみたいに抱きしめてくれる。 枕をクッション代わりにしてベッドヘッドに凭れた秋也の胸に目を閉じる。 瞳を伏せるとまた新しい涙が頬を伝った。 しかし、それはさっきまでの恐怖に怯えた涙ではなくて、安堵が含まれた涙だ。 迷子になった子供がパニックになって泣き叫んだ後、親に出会ってもしばらく泣き止めないのと似てるかもしれない。先ほどの恐怖があまりに大きくてすぐには泣き止めない。 黙ったままの秋也が涙を指で拭ってくれる。 ちゅ・・とコメカミに『大丈夫』ってメッセージみたいなキス。大切なものだけに与えられる、愛おしむ優しいキス。大切にされている事をそれだけで充分実感させるキス。 そうやって自分に気を配ってくれることが堪らなく胸に迫った。 額を秋也の胸に擦り付けて甘えた。こんなことをする自分がいることが信じられない。意識の奥深く眠っていた自分がまた1つ、秋也に目覚めさせられて・・・泣いているのに心は満ちていた。 「正斗、顔見せて。」 そう言われても恥ずかしくて顔を上げられない。 どんな顔をして秋也を見ればいいのかもう俺には分らなかった。
正斗の泣き声が自分の胸に響いてくる。 自分の胸に顔を埋めて泣く正斗が愛しくて堪らない。 やっと、帰ってきた。 俺の手の中に。 つまんねー嫉妬した俺も悪かったけど、フラフラ平野の所になんか行った正斗はもっと悪い。 正斗が居なくなったと気付いた時、瞬間で平野の所へ行ったと直感した。 ぶん殴られたみたいなショックだった。 いざって時に頼るのが『平野』だった、ってことに。 正斗が俺以外の誰かを『選んだ』ことに。
殺してやる・・。
はっきりそう思った。
心地よく聞こえる正斗の泣き声を聞きながら腕の中の正斗の頭を見下ろす。 コイツには大体自覚ってもんが無い。 他人を疑わねぇし。 自分に近寄って優しくしてくれるヤツはみんな『いい人』だと思ってる。 下心なんて感じもしない。 驚くくらい敏感で鋭いくせに、自分のこととなると全然だ。 声を詰まらせて苦しそうに泣く正斗。 で、こうやって泣くことになる。 ガキじゃねーんだからもうちょっと考えて行動してくれ、正斗。 さすがに俺もさ、こんな気持ちにさせられるのは正直こたえるよ。 「・・・正斗。」 他人はお前に近寄らないんじゃない、近寄れないんだ。 お前は誰もが憧れて口も利けないくらいいい男なんだよ。 だから。 「こういうのはもうナシな。」 それに、お前は俺のもんだから他人は近寄っちゃいけないってことくらい分るよな。 「頼むわ。」 他人にビクビク怯えるのも考えもんだけど、ちょっと心を許すと信じてしまうってのもどうかと思う。 もう少し器用になれ、って言ったってお前には無理か? コメカミにそっとキス。 唇に正斗の肌の感触が直にして・・キュっと心が軋んだ。 「正斗、顔見せて。」 俺にしがみ付いて身体を固くしている正斗は顔を上げようとしない。 「顔、上げてよ。」 耳元に囁くと、身体をビクッとすくませ一層俺にしがみ付く。
お前・・可愛い過ぎる。
どこまでも可愛い本当に。 クールな顔してポーカーフェイスなお前のこんな姿を知ってるのは俺だけでいい。 「俺に何か言うことあるだろ?」 正斗が凭れている胸を肩でクイっと優しく揺らすと、正斗は俺の言葉にほんの少し身じろいだ。 言葉を促すように、髪を撫で続けてやる。その耳が真っ赤になる。 「ほら、言ってみな。」 正斗は言葉が遅いから。 最初の一言を根気良く待ってやらなきゃいけない。 きっとたくさんの事を考えてるから。 それは悲しい癖の1つ。 バカな事言って親父に殴られないように、必死に何と答えたらいいかを考える癖が付いてる。だから、言葉が遅い。 思ったままを言えばいいのに。 相手俺だぜ? バカだよなぁ、おまえは。 俺にまでそんなでさ。 「・・きだ。」 「え?」 本当はちゃんと聞こえたけれど、聞こえない振りをしてもう一度言わせる。 「好、きだ・・・俺,絶対・どこへも・・行かないから・・。」 考えて考えて正斗が呟く言葉。 「ああ。」 「絶対に。」 「ん。」 ・・ごめん。 「・・もう、離れない。だから・・離さないで欲しい・・俺の、こと・・・。」
身体に火が付く。当たり前だろ・・俺は我慢しきれなくて斗に覆い被さると、無理やりに顔を上げさせ泣き腫らして充血した唇にむしゃぶりついた。
強情なのに脆くて、敏感なのに鈍感で、クールなのに寂しがりで、いつも何かに怯えているから優しくされるのに弱くて、本当は誰より激しい・・可愛い正斗。 「・・・・愛してる。」
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