ours(恋をしても3)




「大丈夫か・・・?」

深夜やって来て一言も口を利かないままの正斗に貴俊は声を掛けた。

きっと・・また何かあったのだ。

俺は先日から正斗と一緒に通学している。

本当は行き帰りを一緒にしたいのだが、それは正斗に断られた。

『ありがと。貴俊の気持ちは嬉しいけどいーよ、いい歳してみっともないじゃん?』

ならせめて登校時だけ一緒に、と貴俊が譲らなかったので正斗は苦笑いしたものの2人は共に登校することになった。

2週間前、ちょっとした事件が学科の教室で起こった。

プログラミングの演習中。

原因は不明だが演習中の学生が怒鳴りあい、殴りあう乱闘騒ぎが起こったのだ。

ドライな学生も多く「外でやってよー。」などと冷やかしも飛んだが周囲の学生に取り押さえられ、2人は教室から連れ出された。

時間にして10分も無かったと思う。

しかし。

皆が冷静を取り戻して演習に意識が戻った頃。

貴俊の目の前で正斗はみるみる血の気を失い、細かく震え出した。

「正斗?」

驚いて声を掛けたが、正斗は自分を抑えようと必死で、目を剥いて奥歯を噛み締め自分を押さえ込み抱きしめている。

「正斗?!」

びっしりと額に汗を滲ませ、痙攣したように震える。尋常では無い。人間の額にまるで雨が降るみたいに大粒の汗が噴くのを初めて見た。

そして見る間に正斗は床に崩れた。

もし、貴俊が咄嗟に支えなければ無理な姿勢で床に倒れることになっていただろう。

正斗が掛けていた薄いフレームのめがねが代わりに床に叩きつけられた。

演習中だったため貴俊は正斗を周囲の目から庇うようにして連れ出し、空いていた教室にひとまず休ませた。

驚くほどその顔は青く、唇は紫に変色している。

昔、小学生の頃にも授業中に発作を起こしたクラスメイトがいた。

後日、彼は『癲癇』という病気だと聞かされた。

あの日見た癲癇の症状にも良く似ている。正斗の身体は硬直してしまって彼自身にもコントロール出来ないようだ。

大丈夫だろうか・・・病院に連れて行った方がいいんじゃないか?!

貴俊が落ち着かない様子でアレコレ考えを巡らせていると、正斗のジャケットのポケットの中で彼の携帯が主人を呼んだ。

フッと、正斗が正気に戻った気がした。

信じられないことに彼は融通の利かない身体を傾けて震える指で携帯を引き抜くと通話ボタンを押した。

『・・・・・?』

携帯から漏れる声。・・・それは男のものとは分ったが内容までは聞き取れない。

貴俊は正斗から携帯を奪い取って相手に説明しようと思った。

『正斗は今電話に出られるような状態では無いのでまた掛けなおしてください』と。

しかし・・。

正斗はうっすらと微笑んだ。今は話すことなど不可能だろうに。

正斗・・・?

そして大きな深呼吸を何度か繰り返しながら、ゆっくりと目を閉じて電話の声を聞いている。

「・・・ごめん、ちょっと・・・電波、状態悪くて。ああ、聞こえてるよ、秋也。」

信じられなかった。今も正斗の額はびっしりと汗に濡れ唇は震えているのに。途切れ途切れ、正斗は電話の相手の秋也という相手にそう言った。

話すことも苦しそうな正斗を見ていられなかったが、あまり聞いていては悪いと思い貴俊は正斗から距離を取った。

5分もそうしていただろうか・・・。俺は正斗がどうにかなるんじゃないかと心配で気が気じゃなかった。一刻も早く病院に行ってベッドに休ませたかった。イライラと組んだ腕の上で指先が時を数える。

「・・貴俊。」

不意に正斗の声がしてハッとした。

「演習に戻ろう。悪かったな、付き合わせて。」

驚いて顔を上げるとまだ真っ青だけれど正斗が笑っていた。

「正斗・・・。」

「行こう。」

「お前、大丈夫なのかよ?!病院行かなくてもいいのか!」

「病院?・・・必要ないよ、そんなの。俺別に病気じゃないし。・・・ちょっと頭痛がするだけ。」

そう言って笑う正斗はどこか頑なでこれ以上は聞かないでくれ、という意思が見えた。まだ自分を支えて立ち上がることも出来ないくせに。

正斗は複雑な家庭環境だと聞いた。

詳しくは知らない。『芦塚正斗』である彼が何故『川添』という家に暮らすのか。

病気では無い、と正斗は言う。

しかし・・。

「正斗、迷惑かもしれないけどな、明日から俺お前と通学するわ。」

貴俊は言わずにおれなかったのだ。






ふざけてじゃれ合って触れた指先。

どこか寂しそうだけれど凛とした瞳。

多くを語らない唇。

スラリと整った肩や腕。

授業を受けている間も女達の視線が自分の背中に集まっていることを本人は知らない。

どこか薄い印象の笑顔。

いつからか庇護欲を掻き立てられて・・・心を奪われていた。

正斗。

生涯、口にすることは無い想い。

自分は男だ。

この想いは胸に仕舞って生きてゆく。

叶わぬ想いならせめて正斗の助けになりたい。

正斗を・・・守っていたい。

正斗は演習中の一件があった後も一度具合を悪くした。もしかすると一度具合が悪くなるとしばらく続くのかもしれない。今回も倒れる正斗に何もしてやれず俺はただ正斗の傍に居てアイツの発作が治まるのを待つだけだった。・・自分の無力さを噛み締めながら俺はふらつく正斗を黙って自宅まで送った。






そして、昨日の深夜、正斗が突然やってきた。

たった一言、

「ごめん、夜中に。迷惑・・・かな。」

そう言った。

真冬に驚くほどの薄着で。

「おまっ・・・入れ!早くっ!」

きっと、俺の所に来るのも散々迷ったんだろう。

掴んだ正斗の手は氷のようで、彼がどれだけ屋外で時間を過ごしたかを物語っていた。

それっきり、正斗は一言も喋らない。

「大丈夫か?」

何度も同じ質問を時間をおいて繰り返したが返事は無かった。

カーペットの上で膝を抱えて、まるで留守番をさせられている子供のような姿勢でじっとしている。

多分、俺の声は聞こえていない。

正斗の意識は完全に別の所にあった。

何か暖かいものを、と貴俊は牛乳を温めた。

マグに注いだミルクを握り締めたままの正斗の手を開いて握らせる。

「飲めよ。温まるから。」

しかし、正斗は口を付けようとはしなかった。

代わりに立ち上る湯気をボンヤリと見つめて つーーーっ と静かに涙を流した。正斗があまりに無表情だからそれが涙だと思えないような泣き方だった。

「正斗?!」

そのまま正斗は涙を隠すように自分の膝に突っ伏して動かなくなった。

手にしたままのミルクがこぼれて正斗のデニムに落ちる。

「バカ・・っ!」

ミルクはまだかなり熱い。

正斗の手からカップを奪い取ったが正斗は体を強張らせていて、まるで叱られた子供のように頑なになっていた。

「正斗・・・。」

胸が締め付けられた。

お前、誰にこんな風にされたんだ。

誰が、お前をこんなに悲しませてる?

どうして真冬の戸外に1人、行く宛ても無いのに出てきた?

何が、お前を泣かせてる?

どうして、お前が泣かなきゃならない?

正斗・・・!

胸にいろいろな想いがにわかに溢れて俺は膝を抱えて突っ伏している正斗の頭をそっと胸に抱いた。

サラサラの髪がまだ冷たくて、一層正斗が悲しかった。

「こんなに冷えて・・・。」

顔を上げない正斗を温めるように大きく抱える。

正斗は一言も口にしなかったが泣いていることはハッキリと分った。きっとさっきみたいな泣き方で。

こんなに寂しい泣き方を他に知らない。

音も無く、静かで、まるで存在を消しているような泣き方。

お前、こんな泣き方どこで覚えたんだよ。

切なくて、堪らなく正斗が愛おしく胸に迫った。

抱きしめる腕に力を込める。

「正斗、そんな泣き方するな。俺、居てやるから。俺が居るから。もう・・・。」

貴俊は正斗を包むように抱きしめると目を閉じた。無意識に指先に力が篭もる。

言葉は要らないと思った。

正斗に今必要なのは言葉じゃなくて、支えてやる腕と温度だ。

決して正斗を1人にしないことが必要なのだと思った。抱き締めることで少しでも正斗が暖まればいいと思う 。僅かでもこの気持ちが伝わればいい。

どれくらいそうしていただろう・・・。夜闇が青く変わり初めている。

ふと腕の中の正斗が動く。

真っ赤に泣き腫らした目。

その目はうつろで俺のことを映してはいなかった。

「正斗・・・。」

呼びかけると初めて正斗が俺を見た。完全に負の方向に沈んだ目。

「・・・。」

俺は小さく笑いかけた。

「ホラ、こっち向け。」

「・・・。」

「ちゃんと抱いてやるから。」

俺は正斗の体を初めて正面から腕を絡めて抱きしめた。

胸と胸が隙間なく密着し、細身の正斗の体は俺の腕が充分回るサイズなのだと知った。

腕の中に正斗を納めてようやく俺はほっとした。

正斗からは何の反応も無い。

抵抗するわけでもなければ俺の背に腕を回すわけでもない。

ただの人形のように俺に抱かれている。

心臓が震えた。

思わず加減を忘れて思い切り腕に力が入る。正斗の意識を俺に向けたかった。俺なら絶対こんな風にはしない。お前をこんな目には合わせない。俺なら・・!

すぐ顎の下にある正斗の頭・・・その髪にキスした。

「大丈夫か?」

何度も、何度も尋ねた言葉。

正斗はやはり返事をしなかったが、俺の胸の中で小さく頷いた。

俺はそれが嬉しかった。

何も聞くまい、と思った。

聞けば正斗は遠く心を閉ざすだろう。

何も語らなくていい、この距離に居られたら。自分の腕の中で正斗が頷く・・ただそれだけの事がこんなにも嬉しく胸を焦がす。正斗が手に入る・・そんなあり得ない錯覚を止められない。

なのに・・。

「・・・帰るよ。」

唐突に正斗が呟いた。

「・・・え?」

俺は自分の腕の中を覗き込んだ。

そこにはすっかり自分を取り戻した正斗が居た。

「ありがとう・・・貴俊。」

確かな光を宿した目。

いつもの正斗の目だった。

絶対に絶対に放したく無いと主張する感情を無理やり抑えてそっと腕を解く。

正斗はいつもより更に寂しそうに微笑むともう一度俺に『ありがとう。』と呟いた。




「ありがとう」・・・それは、俺が望む言葉とは遠く違うものだ、正斗。













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