mine(恋をしよう2)
芦塚正斗・・・・・19歳。この春秋也と同じ大学の工学部に入学したばかり。 事情があって、小学生のころ1年間休学していたため、正斗は秋也と同い年で現役入学にも関わらず、1年後輩になっている。 そして、またしても事情があって今日からこの正斗は秋也の婚約者として、秋也の祖父が建てた川添家で暮らすことになった。 しかし。 「いーい加減にしろよ。」 勢いであんなこと言っちまったけど、事情、事情、事情ってそればっかで、何がなんだか1つも分からない。 なのに、あと数時間後には正斗が秋也の暮らすこの棟に引っ越してくるのだ。 現実は秋也を無視して勝手に一人歩きしている。 「母さん!俺にも分かるように説明してくれ、あいつ、一体なんなんだよ?」
秋也は、1人天井を見上げていた。 秋也が生まれると同時に初孫である秋也のために祖父が設計し増築した秋也の棟で、ぼんやりと。 吹き抜けの天井からは柔らかな春の日差しが降ってくる。天窓を開けるのが好きな秋也は今日も少し天窓を開けて、春の匂いと緑を揺らす風に包まれていた。 秋也が自然に包まれて育つように、と随所に自然を取り込む工夫が凝らされている。今は亡き祖父の、秋也に対する気持ちが今もこの棟には溢れている。 正斗・・・・・・・。 正斗は、秋也の母が実の姉のように慕った女性の息子だった。 「姉さんはね、身体の弱い人だったの。正斗を産むのがやっとだった。正斗を産んでほんの3年しか生きていられなかったけれどそれはそれは正斗を大切にしてたのよ。優しい、優しい人だった・・・・・・・・。」 ところが、正斗の母親が死んだ途端、父親は正斗を連れてどこかに転居してしまい、秋也の母はずっと長い間その行方を探しつづけたという。 「私が、正斗に再会したのはあの子が小学3年生の時よ。・・・・・病院だった。ようやく探し出したと思ったら、あの子は口も利けない子になってた。身体中傷だらけ、痣だらけだったわ。病院のベットに居てさえ、ピリピリと周りを警戒して夜も殆んど眠らなくて。 ・・・あの男は、正斗を散々虐待してた。」 母は、そこまで話すと泣き出した。 「姉さんが命を掛けて愛した正斗をボロボロになるまで殴って、殴って。食事もろくに与えず・・・・・・・・殺しかけてた。」 それが、正斗が他人よりも1年遅れている理由。 「その後、あの芳江さんと正斗の父親は再婚したの。きっと、これで環境が変わって虐待は無くなると思った。様子を見に行った時に見かけた芳江さんは、とても正斗を可愛がっていたし・・・・・。」 「・・・・・・無くならなかった、のか?」 悲しそうに、悔しそうに、母は強く頷いた。 「そうよ。無くならなかった。あの男は芳江さんにまで手を上げるようになって・・・・・・。」 同じ時期にこの世に生を受けた2人の子供・・・・片や、自分の家を建ててもらい、家族から愛されて育ち、片や命の危機ギリギリのところでやっと生きてきた。 「そんな・・・・・。」 「もう、限界だった。あの子が大学生になったら、何が何でもあの男から引き剥がして手元に呼び寄せようと決めたわ。秋也と結婚するという名目で川添の養子にしてしまおうと思った。姉さんと私は血の繋がりがなかったから、私には何の力も権利も無かったし。」 母は嗚咽を堪えきれなくなって正斗に謝りながら泣き崩れた。 「わたしが、もっと早くあの子を・・・・・。ごめん、ごめん、ごめんなさい・・・・正斗。・・・姉さん。・・ねえさ・・・・・。」 秋也は、聞くに堪えなくて母親の背を小さく撫でた。 「もう、・・・・・・・・イイよ。もう、泣かないでよ、母さん・・・・・。」 アイツ・・・・・正斗は強いよ。 初めて会った正斗は、そんな現実、少しも感じさせなかった。 ・・・・・・・すごく、強いよ。 何となく、秋也にひらめくものがあった。 「なぁ、母さん。俺の、棟にある写真さ・・・・・。俺がまだ2・3歳で、同じくらいの歳の子供と並んで写ってるヤツ。・・・・・・俺、あれって隣に写ってるのは女の子だとばかり思ってたけど・・・・。」 「―――――ええ、そう。・・・・・・あれは正斗よ。」 ・・・・・・・・・そう、まだ幸せだった頃の、正斗。
秋也は吹き抜けの壁面をぼんやりと見上げた。 その壁面に沿って螺旋の階段が秋也のリビングを見下ろす形で2階へと続いている。 少女趣味だから、止めてくれといくら言っても家族は秋也の棟に写真を飾るのを止めなかった。 毎年、正月に撮る家族写真。どの写真も丁寧に引き伸ばされ、高価な額に入れられている。 壁には、秋也の年齢と同じ数だけ家族の肖像がある。 その他に、いくつか記念写真も混ざっている。 祖父が建築デザインで賞を取り、その授賞式にヨチヨチ歩きの秋也を抱えて誇らしげに出席している写真。 顔も覚えていない祖母との写真。 中学入学の写真。そのうち、ここに秋也の成人式の写真が加わるのだ。 そして・・・・・・・・・・。 たった一枚だけ、よく分からない写真が長い間この壁に飾られていた。 幼い秋也が同じくらいの歳の子供と肩を並べてベンチに座っている。どちらとも無く寄り添って頬が触れそうなくらいくっついている。やんちゃを絵に描いたような秋也と、つぶらな瞳で必死にこちらを見ている・・・・・・正斗。 秋也は思った。 この写真を撮ったのは、正斗の母親ではないか、と。 幼い正斗がカメラを構えた母親をじっと見ているのだ。それが、この写真の正斗の瞳の光になってる。 秋也は、着崩れたスーツのネクタイを思い切り緩めた。 そっと壁にもたれて目を閉じると、先ほど会った正斗の姿が浮かんでくる。 どんな19年間だったのだろう、正斗の19年間は・・・・・・。 あんなに、バランスの取れた整った顔立ちをして生まれているのに、正斗は愛されなかった。 閉鎖的な家庭内で、人知れず虐待に耐えて生きてきた。 ・・・・・・・・・・これって、同情かなあ・・・・・・・・。 秋也は、自分に問い掛けた。 なんで、俺・・・・・・・こんなに、切ないんだろう。 なんで、俺、こんなに悲しい? コンと、秋也は壁に頭を打ち付けた。 いくら考えてみたところで自分には、どうしてやることも出来ない。正斗の記憶を塗り替えてやることも、代わってやることも、出来ない。 ――――幸せなことに、想像すらつかない。 ・・・・・・・・・・たまらなく・・・・・・・・・・秋也は正斗を抱き締めたいと思った。 強く、強く、―――――――― 力いっぱい。両腕で。 そうしたら・・・・もう、二度と・・・・・・・・・・・・。 「・・・・・・は。」 秋也は、ため息をついた。 「・・・・・・・・・・なんだよ、これじゃ、恋みたいじゃん。」 とくん、とくん、とくん・・・・・自分の鼓動が耳につく。その音がホテルで見た正斗の顔に重なる。 俯いて秋也は明るい茶色の髪をバサバサとかき上た。 自分でおかしくなって笑い出す。 「自分の婚約者にホレました、・・・・・・彼は男です。――――なんて、シャレにもなんねーや。」 だが、今なぜ、自分は、こんなにも正斗に逢いたいのだろう。 ・・・・・・・・なぜ、こんなに・・・・・・・。
秋也はゆっくりと立ち上がった。 ―――――――正斗が使う部屋の空気を入れ替えるために。
夜は、キライだ。 幼い頃からずっと。 だから、陽のあるうちに引越しをしてしまおうと正斗は思った。 荷物など、何も無い。 持って出たいと思うものなど何一つなかった。・・・・・・・かといって、置いていこうと思うものも無い。 そのくらい、自分の物が何も無い。―――――執着も、無い。 男と婚約なんて・・・・・・あまりに自分らしくて笑ってしまう。 到底、自分には普通に暮らすなんてことは無理なのだ。 そんなの、もうずっと昔に諦めている。 川添家に向かうタクシーの中で、正斗は、そんなことを考えていた。 「っつ・・・・・・・。」 タクシーがカーブを曲がると同時に強烈な痛みがわき腹に走って顔を歪める。 つい、2時間前に帰宅した父親に殴られたためだ。 「結婚することになったみたいだから、家を出る。俺、婿養子になるんだ。」と説明した途端、蹴り上げられた。 長年の経験から、受身の取り方を心得て衝撃を少なく上手に倒れることが出来るようになった・・・・・・・しかし、玄関のタタキはコンクリートとタイルなので身体が打ちつけられると骨が軋むかのような激痛が走った。 「貴様というヤツは、どこまで親を不幸にしたら気が済むんだ!!」 いつも、こうだ・・・・・・・・・。 父の目を見ただけで、殴られる。 音を立てれば食事をもらえない。 多分、自分は息をしているだけで罪なのだ。 だから、そっと、そっと隠れるように・・・・・・・・部屋の隅が正斗の居場所だった。 そんな毎日。 床に転がる正斗を見下ろして、父は2度、3度と続けざまに正斗を蹴飛ばした。 「おまえのような腐った人間は、どうやったってまともにはならんのだ!!」 蹴られて、蹴られて、・・・・・・殴られて。 じっと、それが終わるのを待つ。 何も感じないように、悲しくならないように、・・・・・・・心を白くして何も考えない。ギュッと目を閉じる。 ドスッ!ドスッ!ドスッ!と、父の革靴が自分の身体にめり込む音が鈍く響く。 何度も、何度も、均整の取れた正斗の身体を父親は勢いよく蹴り飛ばした。 「こいつ!こいつ!!」 これでもか、これでもか、と恨みと怒りの全てをぶつけられるのに、じっと耐える。どうして、憎まれるのか考えても答えは分からない。 こんな惨劇が始まると、いつも義母は息を殺して嵐が過ぎるのを震えながら待っている。 可哀相に。 義母さんが、怖がって泣いてる・・・・・。 ごめん、義母さん・・・・・・・・・・しばらく、耳塞いでて。 ゲエェェェッ・・・。 正斗が胃の中の物を一気に吐き出すと、父は一層逆上した。 「どこまで貴様は薄汚いんだ!!」 成長するごとに、気絶するまでの時間が長くなることを恨めしく思う。幼い頃は、あっけなく気を失って楽になれたのに・・・・・・。 永遠、とはこういうのを言うんだ、きっと。 それでも、小さな頃は、いつか誰かが自分を助けに来てくれると本気で信じていた。 ダレカ、ダレカ。ハヤク、タスケテ・・・・・。 でも、結局どんなに待っても、誰も助けに来てはくれなかった。神様なんて居ない、それが現実だ。 少しずつ薄れてゆく意識の中で正斗は秋也の言葉を聞いた気がした。
「俺も、正斗と一日も早く一緒に暮らしたいんです。このまま、正斗を連れて帰ってもいいですか?」
―――――どうせ、荷物なんか無いんだ。 あのまま、連れて行ってもらえば良かったな・・・・・・・・・。
「う、ぐぇ・・・・。」 ゴルフクラブでわき腹を殴られて、ようやく正斗は気を失うことができた。
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