秋也の過去
「正斗兄ちゃん。」 「?」 少し潜めた感のある崇の声に正斗は呼ばれた方を振り返った。 「なに?」 目と目が合うと,辺りを伺うような仕草をして崇は素早く正斗の脇へ滑り込んでくる。 「ちょっと!」 そう言って崇は正斗の腕を掴んで自分の棟へと引っ張る。「俺んちへ来て!」相変わらず辺りを気にしてる。 ・・・どうせ今日家には崇と俺しか居ない。 おばさんは,女子大の同窓会とかで温泉に行ってるし,おじさんは1ヶ月ほどインドネシアに木材を見に行くって連絡があった。 崇だってそんな事くらい良く知ってる。 と,なると崇が気にしているのは秋也の存在ってことか? 「どうしたんだ,崇。」 崇は正斗を自分の敷地まで引き入れると安心したのか正斗を見てニッと笑った。 しかし,何故か崇はその笑顔を慌てて隠すと神妙な面持ちになる。 「?」 「今朝さ,秋也兄ちゃん『見舞いに行ってくる』って言って出掛けたよね。」 「あ,・・ああ。」 正斗の胸に貴俊の顔が浮かんだ。 あの日,秋也に殴る蹴るの暴行を受けて貴俊は今も入院している。肋骨が3本折れた上に,折れた骨の一部が肺を傷つけたとかで呼吸も苦しいらしい。貴俊は奥歯も2本失った。 貴俊・・・。 自分のせいで酷い目にあわせてしまった。 今貴俊が自分の事をどんな風に思っているかと考えると怖気付いて・・俺は病院に彼を見舞うことも出来ないでいる。 貴俊は,いつだって俺を庇ってくれたのに。 甘えたい時だけ甘えて,貴俊が大変な時には何をしたらいいのかも分からない。 ・・親友だと思った。 生まれて初めて出来た親友だと。 正斗は苦い笑みを薄く漏らした。 何が,親友だ。 これのどこが親友だ。 俺は親友に会う勇気も無い。 どんな顔をして貴俊に再び会えばいいのか,ただ会うというだけの簡単なことが凄く怖くて俺は貴俊から逃げてる。 親友と感じた相手を避けてる。 欲しくて欲しくてやっと出来た友達・・親友なのに。 どんな事も貴俊なら自然に話せる,何故だかそう感じてた。 貴俊と居る時だけは緊張せずに居られた。 結局俺は自分が可愛いんだ。 『俺アイツ見舞ってくるわ。』昨夜秋也は何でも無いことのように言った。手加減せずに殴ったからなぁと笑いながら。
「気になってんだろ,平野の事。」 「え・・?」 「おまえ見てりゃ分かるよ,そのくらい。」 「・・・・。」 逞しく秋也に抱かれ,まだ熱を孕んだ身体のまま,秋也の胸に身体を預け秋也に肩を抱かれている至福の時。少し鼓膜もおかしくて直ぐ傍の秋也の声が篭もって遠くに聞こえる。幸せな一時。 返事を出来ずにいると秋也が笑う気配がして前髪にキスされた。 いいよ,別に。って・・・黙ってしまった自分を許す秋也のキス。 貴俊・・・。 会ってちゃんと話すべきなのは分ってる。 会わなきゃ,ならない。 会わなきゃ・・・。 そう思えば思うほど心は重くなった。 このまま貴俊に一生会わずに終われたらどんなに楽だろ・・・。 俺は自分の醜さに目を閉じた。 「ま,俺も一応軽く反省してるし。オンビンに見舞って来るわ。」 そう言って秋也はまた笑った。 こんな時も・・・秋也は強いと思う。 強い光を持ってる。 俺が頑張って頑張って勇気を振り絞ってようやく行うことを,秋也はあっけらかんとやってのけてしまう。 きっと・・心が強いから。 言葉のままに実行する。 眩しい秋也。 どうやったらおまえみたいになれるんだろ。 正斗は自分を包む秋也の腕に額を擦り付けて,秋也の匂いを深く呼吸した。
今頃秋也は見舞いを終えた頃だろうか・・。 正斗の暗い表情を覗き込んでいた崇が何もかもを理解したような顔で小さく頷いた。 「俺,母さんに電話するよ。今すぐ戻るようにって。」 「え?」 「また,やったんだろ?秋也兄ちゃん。」 「・・え?」 「いいよオッケ,分かるよ。正斗兄ちゃんが何も言えない気持ち。ビックリしたろ?俺は家族だから免疫あるけどさ。」 「ちょ・・崇,何?」 崇が鈍いなぁという顔をして声を潜める。 「秋也兄ちゃん,また暴れたんだろ?」 「え?」 「久々だよ,病院送り。中学卒業してからは大人しくなってさ,よくもまぁ更正したもんだと思ってたけど,やっぱ人間の本質っての?アレって変わんないもんなんだよ。結局。」 ・・・更正? 「中学時代の秋也兄ちゃん怖ぇえのなんのって,半端じゃなかったね。一度なんか殺人者になりかけたしさ。・・・じぃちゃんと親父がいつの間にか揉み消したけど。」 「秋也って・・・そんなだったのか?」 「そんなもこんなもだよ。・・・俺小学生の頃,一度誘拐っていうかされそうになったの。犯人の顔も憶えて無いけどさ,その時犯人を知った兄ちゃんが一言『ぶっ殺してやる』って呟いたのだけはハッキリ憶えてるよ。本当にぶっ殺す所だったらしいからさ。」 「そうなのか?」 「そうそう,だってあの人って限度も手加減もねぇんだもん。それでも高校・大学と大人になったもんだと思ってたけどさ,今朝『見舞いに行く』って聞いてあ〜とうとうまたやっちゃったんだ,ってピンと来たよ。」 いつの間に戻ったのだろう,必死に話す崇の後方に秋也が戻ってくるのが見えた。この距離だ,声は聞こえてしまうだろう。気付いた正斗が慌てて崇を黙らせようと後ろを小さく指差した。 「た,崇・・。」 しかし,崇は気付かない。 「俺さぁ,いつ正斗兄ちゃんに話そうかとずっと気になってたんだぁ。あの粗暴な秋也兄の本性を絶対知らないだろうと思ってさ。正斗兄ちゃんは人がいいからさ,そういうことに疎いじゃん?」 視界に入る秋也の顔がみるみる怒りに満ちてゆく。 「崇・・っ。」 「だから,不出来な兄に代わって正斗兄ちゃんにちゃんと説明しておかなきゃ,ってずっと気になってたんだけど。・・もうプチ障害起こしちゃったんだろ?あのヒト。・・病院送りかぁ・・ちなみに相手,まだ生きてる?」 「崇っ・・!」 「マっジで秋也兄は昔から単細胞だと思うよ。誘拐の件にしたってさ,小学生の俺にだって分かんじゃん?いくらボコにするったって程々ってレベルがさ。14歳の中学生が殺人してどうすんだって話だよね。」 自分の言葉に熱くなった崇が熱弁を振るう。 「大っ体,秋也兄には中間ってのが無いんだよね。微妙な匙加減が出来ないっていうか,デリカシーに欠けるっていうかさ。」 正斗が耐えられなくなって崇の腕を掴んだのとほぼ同時に背後から秋也が崇の頭を殴りつけた。 「いってぇぇぇ!!」 正斗は崇を庇おうと思ったのだが1歩遅かった。 「テメェ,人の留守になに女々しいチクリ事してんだよ,え?!」 「いきなり殴ンなよ!秋兄ッ!!」 「殴られるような事しなきゃいいんだろぉがよ,誰のせいだよ,誰の!」 また崇の頭を音を立てて秋也が叩く。 「秋也!」 「なんでもかんでも腕力で解決しようとしやがって!レベルが低きぃんだよ兄ちゃんは!」 「じゃ,何か?おまえは国会議員かよ!話して分からねぇから教えてやってんだ,このバカ!」
「なに見てんの?」 「・・・別に。」 「なに?気になんじゃん。」 「・・いや,随分やんちゃな中学生だったんだなぁと思ってさ。・・・殺しかけたって?」 「昔の事だよ。」 「ふーん。」 「殺したわけじゃない。」 「ふーん。」 「でも。」 「でも?」 「おまえが誘拐されたら・・俺,犯人殺すかも。」 「誘拐されるわけないだろ,大学生だぜ?俺。」 「もしもの話だよ。」 「・・・。」 「平野だって,おまえが『親友だ』って言ってなかったら・・今頃殺されてたかもよ?」 「冗談。」 「・・冗談だと思うか?」 冗談なのか,本気なのか分らない秋也の声。だけど,その目は強くて・・本気を語ってる。 だから俺にはもう秋也の目を見ていられない。秋也は真っ直ぐで強くて・・・俺みたいに歪んでないから。 「・・・・手,見せて。」 「あ?」 「崇が言ってた。誘拐された崇のために相手を殴った時に出来た傷があるって。」 「やだよ。」 「なんで。いいじゃん。」
嫌がる秋也の手を掴んで無理やり開かせる。 すっかり目立たなくなってはいるが,その手のひらには人差し指と中指の間から手首まで10センチ以上もある傷があった。 「・・・知らなかった・・一緒に居るのに秋也にこんな傷があること。」 貴俊を殴っていた秋也の後姿を思い出す。 「これでもさ。」 「え?」 「昔はカッとなったら周りなんか見えなくて,さんざ殴って蹴り上げて気が済んで我に返るってのがほとんどだったんだけどさ。」 「ん。」 「おまえの事はちゃんと意識できるんだぜ?」 「・・え?」 「俺,平野のヤツ殴りながらおまえの事気にしてたもん。人が殴られるトコなんかおまえには見せたくなかったからさ。・・・おまえ映画見ててもそういうシーンで身体固してるから。」 だから,自分が誰かを殴る場面なんて見せたくなかった。と秋也は笑った。 「ま,結局殴ったんだけど。」 でもおまえが居れば自分をセーブ出来るんだ。と秋也は笑った。平野は『親友』なんだろ?と。 ・・・切ない。 秋也の手の傷が堪らなく切なく見えて泣きそうになる。 大切な誰かを守るために負った傷。・・崇を誘拐した犯人は一命は取り留めたものの,半身不随で残りの人生をベッドの上で暮らすことになった。 「なんだよ,そんな顔すんなよ。」 秋也は正斗の頭をキュっと抱きしめた。 「・・・近所のおばはんにまで嫉妬しなきゃなんねーコッチの身にも少しはなってくれる?」 「え?」
「・・・なんでも無い。」
・・秋也の過去は,やっぱり切ない。
手のひらに今も残る傷跡には,自分を傷つけても崇を守った中学生の秋也の後ろ姿がハッキリと見えた。 |